752 通信モデルでの説明のほうが誤解が少ない上にしっくりくる理由/オススメTV番組「犬の里親さがします」

前回の通信モデルを使った説明の続きです

>>743で、コミュニケーション不全について「波長が合う、合わない」というより「エンコードが合う、合わない」という説明のほうがしっくりくるという余談を書きました
今回は、その理由について書きます

引き寄せ界隈ではよく「波動(ほかにエネルギー、周波数、波長など)を上げる」などのように、物理学の波のたとえを使った説明を見かけます
「波動を上げる、エネルギーを上げるのがいい」という説は本当によく見かけます
これはこれで感覚的にわかったような気になる表現なので、それでしっくり来る人はそれでいいのですが、私は引っかかりがありました
この表現だと、どうも「エネルギッシュなのがいい」「エネルギーが高ければ高いほどいい」と思ってしまいがちだというところです
以前の私はなんとなくそのように思っていました
単純にいうと、活発な人のほうが大人しい人よりもいいのだというようなことを、特に疑問を感じることなく思っていました
この傾向は私だけではないと思います

この考えを変えるきっかけになったのは、海外のTV番組で、シーザー・ミランというカリスマドッグトレーナーの「犬の里親さがします」という番組です
私はhuluで見たのですが、残念ながら今は見られないようです
これは毎回、一匹の犬と、その犬を飼いたいという希望者が複数登場し、限られた期間の中で犬と希望者がふれあう様子をシーザーが観察して、犬にぴったりな里親を選ぶという番組です
登場する犬は、当たり前ですが、それぞれ個性(年齢、性格、犬種、生い立ち、健康状態など)を持っています
だからぴったりな里親も犬の個性に合わせて異なります
若くエネルギッシュな犬種の犬には、子供やペットの多い大家族がふさわしい
ある程度大人になっていて、静かな落ち着いた環境を好む犬には、老夫婦がふさわしい
などなど
どんなに犬に向ける愛情が豊かで、すばらしいパートナーシップにあふれた家族であっても、迎えようとする犬と調和しそうになければ、シーザーは選びません

私はこの番組を見て、エネルギッシュで明るければいいというわけではないということを実感しました
言葉で書けば「今更なんて当たり前のことを」といった感じなのですが、それまでの私は「エネルギッシュで明るいことは文句なしにいいことだ」と思い込んでおり、無意識に自分の個性以上のエネルギーや刺激を自分に要求しているところがありました
自覚すらなかったのですが、上記の番組の中で、シーザーが犬の個性に合わせたそれぞれの幸せの形を導き出していくのを見ているうちに、自分が画一的な価値観に縛られていたことに気づくことができました

シーザーの番組は他にもたくさんありますが、どれも面白いので、機会があったら視聴をオススメします
問題行動を起こす犬が多く出てくるのですが、なぜその犬がそのような行動を取るのか、謎解きが毎回推理モノのようでもあり、非常に面白いです
シーザーはエネルギーレベルの話などスピリチュアルぽいことも結構いうので、引き寄せを理解する上でもヒントがたくさん見つかると思います
ただ、シーザーはドッグトレーナーであり、主な視聴者は犬の飼い主なので、パックスリーダー(群のリーダー)としてやっていく人を想定したメッセージになります(毅然としていなくてはならないなど)
別に犬も飼わないし、特にリーダーになりたいわけでもないという人は、そのあたりの事情を考慮して視聴してもらえればと思います

さて、引き寄せに話を戻すと、波のアナロジーで「エネルギーが高いほうがいい」という話には、本当は「その人にふさわしいレベルの中で」という枕詞がつくのでしょう
でも「エネルギーが高いほうがいい」が一人歩きしがちで、ともすれば「とにかくエネルギーが高ければ高いほどいい」という極論になる傾向が強いと感じています
特に引き寄せに興味を持っている人は、現状をどうにかしたいという背景を持っている人が多く、そういう人は>>15で書いたように鈍感になっているので、0か1かのような大きな刺激、極論に走りがちになります
そのような風潮の中でつい「その人にふさわしいレベルの中で」という枕詞を忘れてしまうと、自分に必要以上の要求をしてしまうきっかけになります
さらには、more is betterというか、多ければ多いほどいいというような価値観もまだ根強く、それも影響して極論になりがちだと思います
昔は物でもなんでも多ければ多いほどよいという価値観でしたが、この価値観はすでに古くて、現在は断捨離などが流行したことからもわかるように、必要十分を持ち、それを最大限に活用することに価値が置かれるようになってきています(スマートなどと形容されたりします)
必要以上に求める、所有することは無駄であるということが浸透して来ています
それでも、多ければ多いほどいいという考え方は単純で楽だし、他人のほうが多い、高いなど聞くと、それが自分に不要なものであっても焦りを感じやすいものなので、今だに支持が強いのだと思います
これ以上は脱線なので、more is betterの話は別途機会があれば書きます

また「エネルギーが高いほどいい」とも限りません
「自分にふさわしいエネルギーレベルに整える」というのが一番真実に近いと思います
自愛をしていくうえで大切なのは、自分を知ること、自分にふさわしいものを選ぶことです>>45
多ければいいとか、高ければいいとか、強ければいいとか、そういう単純なものではありません
自分とじっくり向き合って初めてわかるものです
ローレベルのエネルギーが心地よい人はエネルギーを低く保つのが一番いいです

通信モデルでの説明は、エネルギーが高ければいいとかそういう解釈になりにくいので、上記のような行き過ぎた極論になることもないと思うし、自愛の面も考えて、私には通信モデルでの理解がしっくり来ています