107 他人は自分?

【他人は自分?】

引き寄せについて調べていると「他人は自分」という話に出会うと思います
わけがわかりませんよね?
脳は自分と他人を区別できないんだよ、と聞いたりしますが、いまいちすっきりしない
だって他人と自分を間違えたりしないし…
いまだにこの話についてしっくりくる説明がされているのを読んだことがありません
どこかの本やサイトには書いてあるのかもしれませんが、それを引用した説明も見たことがありません

この話について、私の考えを書きますね

>>20で「私たちの認識した世界は、現実そのものではなく、自分の解釈で脳の中に再現したもの」と書きました

私たちは何か考えるとき、必ず脳の中で考えます
実世界で物体がないものは手で触れないように、何か考えるときにはそれについて頭の中に思い浮かべなければなりません
ぜんぶ自分の脳の中で、思考に出てくる人物やら小道具やらを用意しないといけません

たとえば、ドーナツ食べたいなーとドーナツを頭に浮かべるとき、頭の外から本物のドーナツを脳の中に入れて、それを使って考えるなんてことはできませんから、脳の中にドーナツという概念を担当している脳神経がいるはずです
ドーナツの着ぐるみを着たドーナツ役の脳神経がいて、それを見ながら「自分」が考える感じです

パソコンでいうと、ドーナツの画像をパソコンで扱うには、必ずメモリのどこかにそのデータが保存されているはずです
「コーヒーも飲みたいなー」だったら、コーヒーの画像もメモリのどこかに保存してからでないと扱えません
パソコンはメモリ上にないものについては、この世にないのと同じ、ドーナツとかコーヒーの概念すら元から知らないのと同じです

つまり、他人について考えるとき、私たちは自分の体(脳神経)を使って他人を表現して、それを見ていろいろ考えている
だから、「他人」を考えているつもりでも、その実、「他人をシミュレートしている自分」を見て考えている
これが私の考える「他人は自分」です

そして、嫌いな人について考えるとき、私たちの脳の中では何が起こっているでしょうか
嫌いな人に向かって「あんな奴こんな目に合えばいいのに」と攻撃的なことを考えているとしますね
それは、その嫌いな人に見立てた自分(の一部)に向かって、自分が攻撃しているわけです
「あんな奴こんな目に合えばいいのに」と、あんなことこんなことを考えたりしているとき、そのシミュレーションでひどい目にあっているのは、嫌いな人の着ぐるみを着せられたあなたの脳神経です
自傷行為ですよね…
仕事とはいえ罪のない脳神経もかわいそうだし…

さらには、そんなに嫌いな人のことを考えるために、自分の体の一部を使わせてあげているわけです
自分の一部とは言え、自分自身が自らその嫌いな人になりきっているわけです
これに気付いたとき私は本当にゾッとしました

私は以上のことに気付いたとき、本当に嫌いならば、それについては考えないのが一番だということがやっと腑に落ちました
嫌いなものを演じている自分の脳神経…自分の一部に変わりないけど、無条件には受け入れがたいかも…でもそれでは自愛にも差し障りがありますしね
今でも他人に腹を立てるときもありますが、必要以上に攻撃的にならないように、必要以上にそのことを考え続けないように、気をつけています

私たちは他人について考えるとき、どうしても「自分のシミュレートしているその人」を使ってしか考えられません
しかもそれは自分の身体を使って表現しているものです
これが私の考える「他人は自分」です

本当は全然ちがう話なのかもしれないけど、これはこれで面白い話だと思いませんか?