853 スレ立てしてから三ヶ月で気付いたこと:アンチの決めつけが起こる原因/正しくない願望設定とは何か

先日、アンチの人がとうとう別人と私を同一人物だと言い出しました
このように、ごく限られた知識の中で物事を強引に結びつけるのは、ネットウォッチャーでよく見るパターンで、同時に攻撃性が高いことも多いです
今回はそれがなぜなのか、アンチを始めとする「こじつけ」がどう起こるのか、それをどう引き寄せに使えばいいのか書きます

私はスレッドの最初の方で、認識の精度を高めることの大切さを書きました
これと真逆のことをやると、こういうアンチの決めつけ、こじつけのようになります
なぜこういう行動に出るのか?は、

・自我を鎮めるためのストーリーが必要
・「わからない」という状況が不安で耐えられない
・自分の観測が部分観測だということを理解できない

この3つが主原因です
そしてなぜ決めつけやこじつけがよくないのかといえば、

・出した結論が間違っている
・間違った結論に基づいた行動は現実と噛み合わない
・結果、うまくいかない

となるからです
当たり前ですね

世界には自分の見えない部分がたくさんあって、それらが複雑な相互作用をした結果の一部だけが自分に見えているのであって、そのすべてに対する説明を自分の見える部分だけから導き出すことはできません
それを強引なこじつけでやるのだから、間違います
しかも自分に必要なストーリーが前もってあり、そこへ帰着させようとするので、さらにおかしなことになります

それでは主原因を一つずつ見ていきます

まず「自我を鎮めるためのストーリーが必要」についてです
これはたとえば、私のアンチの場合、
・私の態度が偉そうで許せない
・私の文章がわからなくてイラつく
など、私を見ると自我が騒いで居心地が悪いので、それを鎮めるためのストーリーを必要とします
平たくいえば「合理化」、「酸っぱいブドウ」です
ここは自愛ができていれば、「合理化」なんてする必要がないのですが、自愛ができていなくて自我が過敏な人はどうしても反応してしまうし、離れることもできないようです
この部分については別途書きます

次は【「わからない」という状況が不安で耐えられない】です
これも自愛ができていないから不安になりやすいのですが、人が正しい結論に至るまでには必要な情報を集めないといけません
それまでは判断保留というか、出したい結論はあっても確度が低すぎてそうは言い切れない、平たくいえばどっちつかずな状況にあります
自我が安定している人はこの状況に耐えられますが、自我が不安定な人は一刻も早く自分の欲しい結論がないと不安でたまらないので耐えられません
見切り発車します
極端な場合には、こじつけるための証拠すら要らず、「自分がこう思うからこうだ」というだけで結論を出すケースもあるし、証拠や記憶を捏造(ないものをあると思い込んだり、あるものをないと思い込んだり)することもあります

最後に「自分の観測が部分観測だということを理解できない」です
上の二つを見れば、元々必要な何らかのストーリーがあり、それを補完するために証拠集めをしているのであって、フラットに現実を見て真実を導き出そうとはしていないとわかります
もちろんそこから出てくる結論は、元から用意されていた結論であって、フラットなものではありません
これがわかっていれば、このようなやり方は、
・結論が現実に即したものではない、間違ったものであること
・それを採用すれば、現実と噛み合うはずがないから、うまくいかないこと
の可能性が非常に高いから、やるべきでないと理解できます
逆にいえば、これを理解していない人がこじつけをやります
しかも自覚がありません

脳には、疑問や問題設定があると、自動で情報収集する機能があります
引き寄せには、この機能を利用している部分があり、これが現実としっかり噛み合うと非常に強力です
むしろ、これこそが俗にいう「引き寄せ」です(いいものを引き寄せるケース)

でも問題設定が現実と噛み合わないと、恐ろしいことになります
その人の内面だけに、望む状況が現れます(妄想)
ストーカーなどと同じ、病的なことになります
いき過ぎたアンチやネットウォッチャーはこの域にいます
ある意味「引き寄せ」はできています
ただし本願などではなく、嫌いな人やものに関するものが引き寄せられています
この問題(現実と無関係に内面だけが変化する)があるので、私は「なる」「現実無視」などをわかっていない人がやるのは危険だと考えています
要領がつかめなくて時間を浪費する問題については以前書きましたが、実際はこちらの害の方が怖いです

そして、これらはひとごとではなく、(冒頭に挙げたこじつけの例=別の人を同一人物だと決めつけるは極端ですが)、執着するほど叶えたい願望がある人は誰であれ、同じ思考の枠組みの中にいます

・自我を鎮めるためのストーリーが必要
・「わからない」という状況が不安で耐えられない
・自分の観測が部分観測だということを理解できない

これらが当てはまる人たちは、自我を鎮めるためのストーリーとして願望を設定し、それが正しい=問題を解決してくれることを頭から信じ込んで疑わない人たちです
よくよく考えれば、本当はその願望が叶うことと問題が解決することの間に確固たる保証はないはずです
当人の思い込みのみが根拠だからです
でもこういう人たちは、そんなことにも気がつかないほど、頭から信じ込んでしまっています
これは願望設定の目的が幸せになることではなく、危機に瀕して不安にかられている自我を鎮めるためだからです
その願望が叶ったら幸せなのかどうかよりも、今この瞬間に自我が黙ればいいということで設定された願望だからです
これが間違った願望設定、正しくない願望設定です
執着しないでいられる願望は、その人の本質に根ざした願望であることが多く、その人にふさわしい内容であり、かつ執着しないので現実の認識に制限がかかりにくく、結果として叶いやすいです

以上、自分の引き寄せに生かせることは、アンチの逆をやることです

・自我を鎮める必要をなくす
・「わからない」という状況に耐えられる
・自分の観測が部分観測だということを理解する

そして

・正しい結論を出す(必要な情報が揃うまで待つ)
・現実と噛み合った行動をする(現実を無視しない)
・結果、うまくいく

ということです
平たく言えば、

現実を正しく認識したうえで、余裕を持って、自分の望む状況、望むストーリーに集中すると叶いやすい

ということです

私は「おまかせ」派なので執着はしませんが、願望を持つことはあります
そのときは願望について、楽天的、楽観的でいるようにしています
それは「現実を正しく認識したうえで、余裕を持って、自分の望む状況、望むストーリーに集中すると叶いやすい」からです
楽観的でいることで、一見ストーリーに外れて見えることも受け入れ、また自分に見えていない部分についても間口を広く開けておくことができます
短期的に判断しないということです
これが現実を正しく認識することにつながります
逆にいうと、執着するとというか心に余裕がないと「間口を広く開ける」ができないので、叶いにくいのかもしれません

今回書いたことは、以前から他のスレでおかしな議論を展開している人や、ネットウォッチャーを観察して気付いていたことですが、今回自分のスレに関しても同様のアンチが出たことで、やっぱりそうなんだなと改めて確認しました

正しい願望設定については、いずれまた書く予定です