860 クリアリングはわざわざやる必要なし

ここで言う「クリアリング」は、自分の中にある未解決のわだかまりを浄化するというような意味です
癒されなかった過去の思いやインナーチャイルドを癒すといったものもクリアリングに入ります
クレンジング、クリーニング、浄化、などは呼称が異なるだけで、すべて同じです

クリアリングは主に自愛の文脈で出てきます
メソッドの名称で言えば、ホオポノポノやセドナなどでしょうか?
私でも知っている=ここでよく見かけるということで、結構人気のあるメソッドです

でも私は一度もクリアリングについて書いていません
それはクリアリングが不要だからです
人によっては有害になると考えています
やりたければやるのは自由です
でも過去に辛い思いをした人は、クリアリングをしようとすることで、パンドラの箱を開けてしまう可能性があります

脳というのはすごくて、ショックなことがあったら忘れたり、思い出せないように記憶を隔離したりして、自分を守ろうとします
精神的にあまりに大きな傷を受けて、無意識に押し込めていることができない場合は、一般的には問題行動と取られる行動を起こすという手段をとってまで、なんとか死ななくて済むように奮闘します
過食症アルコール依存症などは、問題行動が実はガス抜きになっていて、それでなんとか自殺せずに済んでいるという人もいるのです
そこまで極端でなくても、コンプレックスなどのために、対人関係に悪影響のある言動をしてしまう人なども、そうすることで自我を守って、なんとか自分を持ちこたえようとしているのです

クリアリング不要というのは、こうやって脳がせっかく隔離してくれているものをほじくり返さなくていいということです
自分の一部を「取り除かないといけないようなもの」と考えたり、「クリアリングとか浄化とかしなければならないもの」と考える必要もないので、なおさらクリアリングをする必要がありません

「今の自分」をこの瞬間に幸せにしていくだけで十分です(自愛をやる)
元気が戻ってくれば、わざわざ傷をいじくらなくても勝手に傷は癒えます
脳はすごくて回復もオートです

病気でも、弱った人に病巣があっても、手術に耐えられる体力がなければ手術しませんよね
体力がついて、免疫が正常に働き出せば、病巣は消えていきます
そんなイメージです

自愛をしてもいつまでも元気にならない人は、病院に行ったり、カウンセリングを受けたりしてもいいかもしれないですね
自愛は万能ですが、あまりに傷ついていたりして、自愛自体ができないということはあるかもしれませんので、その場合は「自分の思う」クリアリングとか自愛とかをしても悪くするだけかもしれません

まとめると、自愛や「今すぐ幸せになる」をしていれば、クリアリングを別途する必要はないというのが私の考えです
また、「毎日よかったことを5つ書く」など、認知の歪みを正すものも、過去の傷を新しい解釈で捉え直して乗り越えるために役立ちます

過去はある意味幻想です
過去より未来、未来より今に目を向けましょう
幸せな今が連続すれば、一つの幸せな人生になります

 

追記:

傷が癒える=なかったことになる、ではありません。

傷をなかったことにしなくても、今の自分そのものからスタートして、前に進んでいくことができます。

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