815 「おまかせ」にしたほうがいい理由ふたたび:「自分」は潜在意識より限られた部分観測しかしていないから

人の認知は完璧ではありません
不完全知覚については以前書きました>>15
もうひとつ、部分観測というのがあります

部分観測の反対は全体観測です
この世のすべてがお見通しの状態です
でも人はそうではなく、部分観測しかできません
だからこの世のすべてを理解することはできません
これは以前、おまかせにした方がいい理由の中でも書きました>>86

そして部分観測といっても、いろんなレベルがあります
潜在意識も部分観測しかできませんが、「自分」よりははるかに多くの情報を持っています
たとえば、目に映るものはすべて脳で処理されて、意識上に上がるものは上がるし、上がらないものはスルーされます
これは、

・眼に映るものはすべて脳で処理されて

潜在意識は目に映ったものすべてに一度は目を通して知っている

・意識上に上がるものは上がるし、上がらないものはスルー

「自分」という意識は、潜在意識によって意識上に送られたものしか知らない

ということです
これだけで、「自分」は潜在意識より限られた部分観測しかしていないとわかります
五感すべてにおいてこうですから、潜在意識と「自分」の能力の違いは歴然としています(>>86にも書きました)

この限られた観測の中で、ああだこうだと推論しているのが私たちです
ものすごく限られたことならともかく、この世に起きることすべてについて、正しい推論に至るために必要な情報すべてを認識できているとは到底思えません
それでも「答えがないのは不安」なので、なんとか答えをひねくり出すのが私たちです
答えが正しいかどうかより、今この不安から抜け出せるかどうかが私たちの行動原理です

私たちにできることは、

・部分観測とは言っても、せめて観測可能な部分については不完全知覚を少なくする
・視野を広くして、少しでも観測可能な領域を増やす(カメラの例として以前書きました>>20)

二つ目は、今見えている範囲をしっかり見るということ以外に、人的ネットワークや行動範囲を広げるということも含まれます

もちろん自分にできる範囲で結構です
無理して苦行に取り組む必要はありません

自分がどんなに正しいと感じるとしても、それは限定された能力でひねり出したものであることを理解すれば、真相が思いもかけないものである可能性もまた理解できるはずです
自分が認識している範囲外に、自分にふさわしいものがある可能性も理解できるはずです
そして、より大きな視点で動いている潜在意識にまかせるほうが得策だということにも思い当たると思います

今日書いた内容は【特定の願望を細かくイメージせずにおまかせにしたほうがいい理由(1)】>>86と同じです
>>86, >>121, >>149はつながっているので、今回の記事を読んだ上で今一度読み返すと、新たな発見があるかもしれません
認知という話では>>15, >>20ともつながっています