831 「おまかせ」をやり続けたらどうなるか(引き寄せに取り組み続けたら、どうなってきたか):自由意志、神や霊

「おまかせ」をやり続けたらどうなるか(引き寄せに取り組み続けたら、どうなってきたか)について書きます
今回は何かの説明というより、実体験の紹介と、この先のテーマの導入部分になります

私は「おまかせ」ができるようになって一年以上経ち、「まさに自分にふさわしい素晴らしいものが、勝手に飛び込んで来る」ということが以前にも増して多くなってきています
その中で「自分が前もってそれを望んでいたような気もするし、そうではなく、それを見せられてから、前もってそれを望んでいたような【錯覚】を覚えるのかわからない」という感覚がたびたび起こるようになりました
とても不思議な感覚です
最初はとまどいましたが、「この感じ方が実は正しいのではないか」と思っています
それは「人は自分で考えて行動していると思っているが、それは実際にはごくわずかな一部についてしか当てはまらないと思う」からです

人には自由意志があるのでしょうか?

以前、脳科学の本で、「脳は行動を起こす前に、結果が失敗なのか成功なのか知っている」と読んだことがあります
「自分」は結果を見てから失敗や成功を知ると思っているが、実験によると、結果を出す前に脳はすでに知っている

その本には、マウスの実験についても載っていました
「特定の行動に対してマウスの脳に強烈な快感を与えると、マウスは指示された通りにしか動かなくなる」という実験です
マウスの行動は明らかに外部から操作されたものですが、マウス自身はそれに反する意思や行動を選択することなく、快感を感じるために命令に従うことを選んでいます
自ら命令に従っているけれど、それを自由意志と呼べるのか?

最近見た、麻薬産業を取り上げた番組では、はたから見ると荒んだ状況にあって、早く麻薬から縁を切ればいいのにと思える人が、自分の意思として「自分は麻薬を求め続ける」と語っていました
外部からの快感で操作されるマウスの実験に似ています
客観的に見れば麻薬に支配されているが、本人は自由意志に従って自由に行動できていると感じている
もちろん番組には麻薬に支配されて自由がないと感じている麻薬使用者も出ていましたが、いずれにせよ現実がどれだけ悲惨になろうと、麻薬を拒否することなく使い続けてしまうところに自由意志はあるでしょうか
ないですね

これらを考えると、自分が自由意志で行動しているというのは錯覚、幻想とも思えて来ます

「自分が自分である」という「自我」の感覚は、「一人の生物としての自分」からすればごく一部の限られた働きです
その限られた小さな存在の「自我」が「自分の意思で選んだ」と思うことは、より大きなシステムである「一人の生物としての自分」から与えられた司令を自分の意思から生じたものと勘違いしているだけなのかもしれません
部分観測しかできない私たちに作れるストーリーは、「自分の行動は自分が作り出した意思によるものだ(すべて自分で考えたことに従って行動している)」というのが想像の限界なのかもしれません

冒頭の感覚は不快なものではなく、ただ不思議なものです
そして渡されるのは「自分では思いつかないほど自分にぴったりのもの」なので全く問題ありません
むしろうれしくて驚くばかりです
「自我」は驚きますが、実行前に成否がわかる「脳(潜在意識含む)」には、前もってすべてお見通し、むしろ計算通りの結果なのかもしれません
(しれませんと書きましたが、私自身はそうだと考えています)

このような「自我」にとって計り知れない「一人の生物としての自分」の働きを、人がなんとか理解しようとした結果、「神」や「霊」といった神秘的な能力を持つ存在の概念を生み出すに至ったのではないかと私は考えています
私は無神論者で霊能力なども否定していますが、神や霊についてはこのような解釈(人の認知の問題)をしています
今後数回これらについて書きます

まとめると、
・引き寄せをやり続けていたら、自分が望むまでもなく(望む前に)素敵なものの方から勝手に舞い込んでくるようになってきた(その頻度が上がってきた)
・それには自由意志はあるのかといった認知や意識の問題が関係している
・認知や意識の問題は神や霊の概念の理解にもつながる
ということです

最後に「自我」という言葉について補足です
今回「自我」という言葉を使って書きましたが、これまでの書き込みで何度か書いてきた「自分」と同じ意味です
「自分は自分である」と感じる感覚、意識、存在のことです
これも「自我=エゴ」ですけど、引き寄せ界隈で乱用されている「エゴ」とは別物です
(あちらは都合の悪い自分をまるで自分とは別ものであるかのように扱うために「エゴ」という言葉を乱用しているだけなので)